村野藤吾と丹下健三

Bambooコラム

こんにちは、バンブー社長です。
今回は、SPINNA BAMBOOのコンストラクションマネージャー
コンノヨシキ建築設計事務所 金野さんのコラムを紹介させて頂きます。

村野藤吾と丹下健三

日本人の建築家は海外でも評価が高く、建築界のノーベル賞(この表現はあまり好きではありませんが)と言われるプリツカー賞を受賞している建築家は何人もいます。
最近では磯崎新が2019年に遅ればせながら受賞しており、なぜ今磯崎なのかと不思議な感じではあったのが記憶に新しいところです。
余談ですが、磯崎のことなので拒否するかと思いきや、しっかりもらっていましたので、磯崎も齢を重ねてアナーキーさよりも栄誉を選んだのかと感じた次第です。

余談ついでで磯崎の話ですが、昔、新建築のコンペで「スーパースターの家」というお題のコンペがあり、磯崎は図面を描かずに、
「この世の中にスーパースターなどいない」という論評を書いて出したという話がまことしやかに建築学生の噂話としてありました。

今この件をネットで調べてみると、コンペの題名は「わがスーパースターたちの家」というもので、この課題を出したのが磯崎ということが分かります。
(噂の真実を知ることが出来ていい時代になったのか、とてもつまらない時代になったのかは分かりませんが)。

ここで審査員の磯崎は1等から3等まですべて外国人を選んでおり、この結果に対する審査評として「日本の建築教育の惨状を想う」という論評を発表していますが、
これが噂話の「スーパースターなどいない」の尾ひれとなったのかも知れません。(この審査評をとても読んでみたいです)。

ちなみに、この時の1等がトム・ヘネガン、2等がハンス・ホラインですから、磯崎の見る目の正しさが良く分かります。
新国立競技場も磯崎が強く推したザハ案としていれば、今の東京の景色は間違いなくダイナミックに変わっていたはずです。
あくまで個人の意見ですが、今の新国立のデザインはまったく評価出来ず、ザハがだめでも伊東豊雄案にしてほしかったと思っています。


このままだと話が磯崎になってしまうので、タイトルの村野東吾と丹下健三に戻します。
村野は1891年(明治25年)生まれ、丹下は1913年(大正2年)生まれですから、22才も歳が離れています。
比べて語るには両者の齢が離れていますが、
ちなみにこの二人の間には、坂倉準三(1901年生まれ)前川國男(1905年生まれ)、吉村順三(1908年生まれ)らがおり、
このうち前川や坂倉はコルビュジェに師事を受け、丹下は前川に師事を受けというようなコルビュジェ色の強い関係ですが、
村野は前川、坂倉、丹下という東大建築の流れ(この後の磯崎新、黒川紀章、伊東豊雄、隈健吾、と続く)とは別の系統にあり(村野は早稲田)、
ある意味でそれらコルビュジェ東大系とは一線を画した建築家であったと言えます。
Wikipediaでは、同世代のコルビュジェにも関心を示しとありますが、前川、坂倉、丹下のようにダイレクトにその影響を受けているようには思えません。

ではなぜ、前川や吉村や坂倉と丹下ではなく、村野と丹下なのか。
このふたりには因縁があり、建築に詳しい方ならご存知の方も多いと思いますが、
戦後復興の中での広島における「世界平和記念聖堂」のコンペにおいてその事件(?)は起きました。

詳しくはWikipediaを見て貰えればと思いますが、このコンペに丹下が応募、村野が審査委員長という立場の状況で、
村野は1等該当なしの審査結果をし、結果的に自らがこの「世界平和記念聖堂」を設計してしまったのです(丹下案は2等)。

当然のことながら職権乱用との非難はあったとようですが、建物自体はそれらの非難を黙らせるほどすばらしい建築で、
この逸話が更にこの建築を際立たせてしまっていると個人的には思っています。

丹下自身はこのコンペとほぼ同時に行われた平和記念公園のコンペで1等を勝ち取り
(広島出身の丹下にとって絶対に勝たなければいけないコンペであったby Wikipedia)
それと同じ概念上に世界平和記念聖堂があったと思いますが、村野の解釈では、
それは平和記念公園が必要とした概念とは違う<軸>で考えるべき建物であったということだと思うのです。

平和記念公園は原爆資料館から原爆ドームが一直線上にあるように配置をし、建物の良さというよりは、
その全体構成のすばらしさに若き丹下の天才性が垣間見えるわけですが、
世界平和記念聖堂は平和記念公園の国家的なモニュメントとしての大きな<軸>ではなく、
そこをよりどころとする信者の為の身近な<軸>であるべきだと考えたのではと思います。

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丹下は村野に対して特にコメントを発していないようですが(丹下も村野を認めていた?)、
その後、東京の目白に「東京カテドラル聖マリア大聖堂」という、世界平和記念聖堂と対極をなすような教会を設計します。

平面が十字架になっているという(教会建築にありがちな)単純なフォルムですが、その単純なフォルムを国立代々木競技場と似た構造で構築し、
外壁の金属パネルとは裏腹に、内部はコンクリート打ち放しの無柱の荘厳な空間になっています。

丹下は自分の設計した建築の中でこの東京カテドラルが一番好きだと言っており、葬式もここで執り行われたと記憶しています(ちなみに弔辞は磯崎)
この東京カテドラルは、丹下にとっての広島の、村野の、世界平和記念聖堂への回答のような気がします。

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村野藤吾、丹下健三のお勧めの建築は他にもたくさんありますが、この2つの教会建築は二人にとっての代表作だと個人的には思っています。
広島に行く機会があれば世界平和記念聖堂に是非行ってみてください(広島駅から歩いて行けます)。
実物を見ると村野の細かなディティールの拘りに感動するはずです。

東京カテドラルは、地下鉄江戸川橋駅からぶらぶらと椿山荘を通り抜けていくのがお勧めですが、
初めて見るとその銀色に輝くダイナミックなフォルムに同じく感動すると思います。


最後にお勧めの鑑賞法として、その内部で、サミュエル・バーバーの「アニュス・デイ(神の子羊)」を聴いてみてください。
きっと天国を感じることが出来るはずです。

金野 良紀

長年、外資系の流れを組む建築設備系会社で技術責任者を任され、
一般建築の新築工事、外資系コンピュータ会社の事務所構築、移転プロジェクト等、多岐に渡る案件に携わってきました。
特に汎用系の大型コンピュータ用マシン室構築の設計・工事に関わってきたことから、
特殊設備(空調、電源、消火設備等)に関して豊富な経験と、高い知識を有していると自負しております。

2005年 独立、大型プロジェクトの特に設備関連の設計・コンストラクションマネージャーとして参画してきました。
2022年 株式会社SPINNA BAMBOOの設立に参画、専門家として本物の価値提供を、これからも追求していきます。

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