マーキングサインとスティーブ・ジョブズ

はじめまして、グロリア・アーツ株式会社の菅野と申します。

バンブー社長(新村さん)とは、
彼がプロジェクトマネージャーを担当したクリエイティブオフィスで、
グラフィックサインに関するテクニカルな部分の提案と、
サイン計画全体の施工を協力させていただいたことから、お付合いが始まりました。

オフィス空間にテキスタイル・アーティストの描く世界を纏わせる、素敵なプロジェクトでした。

終わってしまえば「素敵なプロジェクト」ですが、
クライアント、営業、デザイナー、アーティスト、施工業者、、、

多岐にわたる関係者との調整役を行いながら、
新しいチャレンジを伴うプロジェクトを総合的に監理することは、並々ならぬ苦労があったはずです。

それでも、新村さんは
テクニカルな内容について、自身で納得がゆくまで説明を求め、
「こうしたらどうか?」と逆に提案をしてくる熱意を持ち、
明らかに難題に取組み解決してゆくことを楽しんでいました。

サイン計画という限られた業務範囲でも、
さまざまな難題が課されましたが
それらを一緒に解決していった事は忘れられません。

ものづくりには産みの苦しみが伴います。
「どうせ苦しむなら、楽しみながらつくる!」というのが私のモットーです。

今回、自分と同じ匂いを感じた新村さんから本コラムの依頼を受けましたので、
当時のプロジェクト同様に、楽しみながら書かせていただきたいと思います。

デザインはテクノロジーと共に進化する

私は、普段から店舗や施設のサインデザインに業務として携わっております。
今回は「デザイン」「テクノロジー」とともに進化する。
ということを、マーキングサイン*スティーブ・ジョブズという、
一見あまり関係の無さそうな2者の関わりを例に挙げ、お話したいと思います。
※ マーキングサイン:ここではマーキングフィルム(カッティングシート)を用いたサイン(看板)表現のことを指しています

フォント:文字はデザインの一要素


文字は情報を伝えるという意味でコミュニケーションの基本となる要素ですが、
デザインにおいて、文字は情報だけでなく美しさや個性をも表現する大切な要素となっています。

皆さんがお使いのパソコンで文字を打つ際に必ず目にする「フォント(書体)」。
例えば、企業ロゴに用いられるロゴタイプには様々なフォントが使われています。
下にいくつかの例を使用されているフォントの特徴とともに挙げてみました。

Helvetica(ヘルベチカ)
太さが均一で個性がなく読みやすい「世界で最も使用(愛)されている」書体
Panasonic FENDI BMW

Didot(ディド)
太い部分と細い部分の強弱があり曲線部分とのバランスが美しいエレガントな書体
VOGUE ZARA Dior

Futura(フーツラ)
直線と円弧から形作られ鋭角の先端が尖っているのが特徴の幾何学的な書体
OMAGA Volkswagen LOUIS VUITTON


さまざまな企業が、それぞれの特徴ある書体を用いてロゴタイプとすることで、
企業名のみならず、その企業の持つ理念やアイデンティティなどを伝える一要素となっているのです。

上記の企業に限らず、企業のロゴタイプを見て、なぜその書体を選んだのか?と考えるだけでも
その企業の製品・サービスに対する考え方の一端が見えてきます。

アウトラインフォントの魔法:文字とデザインの進化

このようにデザインする上で必ずと言っても良いほどに用いられる「フォント」ですが、
パソコン上で表示されるものは元々は「ビットマップフォント」と呼ばれるドットの集まりで表現されたものでした。
ですから、文字を拡大するとドットが見えてきてギザギザしています。

出典:モリサワ
https://www.morisawa.co.jp/culture/dictionary/1932


このギザギザしたフォントではデザインにも限界がありますよね。
現代のデザイナーがパソコン上で用いるフォントは「アウトラインフォント」と呼ばれるもので、
ドットの集まりではなく、文字を直線や曲線のデータの集まりとして持っているので
拡大してもきれいなアウトラインを保ったまま大きく表示することができます。

現在となってはあたりまえのことですが、「ビットマップフォント」を見慣れてきた人々にとっては、
まるで魔法のように、どこまで大きくしてもきれいなアウトラインで書体が表示されます。

出典:モリサワ
https://www.morisawa.co.jp/culture/dictionary/1893

パソコンにカリグラフの概念を:スティーブ・ジョブズ

この「アウトラインフォント」の概念をパソコンに搭載し、広く一般的なものにした立役者が
アップル創設者であるスティーブ・ジョブズです。

そのエピソードをジョブズ自身が2005年スタンフォード大学の卒業式スピーチで語っています。
養子であるジョブズは、両親の蓄えのすべてが自身の学費に費やされてしまうことに疑問を感じ退学、
退学後もモグリで好きな授業を気ままに受講していたときに出会ったのがカリグラフの講義でした。

”それでも本当に楽しい日々でした。
自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。
たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。
キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。
退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。
ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。
何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。
科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。”

出典:「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳
https://www.nikkei.com/article/DGXZZO35455660Y1A001C1000000/


このときのジョブズは、単純な興味や美しいものに惹かれる気持ちで講義を受けていたようです。
ここで学んだことが「アウトラインフォント」として結実するには10年の時を待ちます。

”もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。
ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、
カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。

そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。

美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。

もし大学であの講義がなかったら、
マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。

ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、
パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。

もし私が退学を決心していなかったら、
あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、
パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。”


このエピソードはジョブズのスピーチにある3つの話のうちのひとつ「点と点をつなげる」という話です。
とても素敵なスピーチですのでぜひ出典元から全文を楽しんでみてください。

ジョブズのカリグラフィへの情熱が、パソコン書体に対する人々の認識を一変させました。
「アウトラインフォント」により、デザイン性と表現力を向上させたことで、
パソコン上での文字が単なる情報の伝達手段ではなく、コミュニケーションや文化を豊かにする、
美とデザインの重要な要素となったのです。

マーキングサインの進化:アウトラインフォントとの出会い

ここではマーキングフィルム(カッティングシート)を用いたサイン(看板)表現のことをマーキングサインと表していますが、
上記のようにジョブズが導入した「アウトラインフォント」の登場によりサイン業界に革命が起きました。

出版業界では写植、サイン業界ではレタリングといったアナログな作業が、
全てデジタルデータで簡単に効率良く制作することができるようになりました。

それまで単純な図柄や対象物を彩色したり、
文字を手作業で切り抜いていたマーキングサインが、
「アウトラインフォント」のデータからカッティングプロッターと呼ばれるプロットマシンにより、
すべてパソコンから簡単に文字や図形を表現できるようになったのです。

現在では、マーキングフィルムの素材も進化し、屋外の床面に貼れ耐候性のあるものや、
本物の鉄がシート状に加工されており錆を発生させ古美てゆくものまで、様々な種類のシートが開発されています。

マーキングフィルムの開発はかなり以前から行われており、
カッティングプロッターによる文字表現が行われる前から様々な用途で利用されていました。

大阪万博で「太陽の塔」の頂に据えられた初代の「黄金の顔」には、
メッキや塗料ではなく3Mが提供した金色の特殊フィルムが採用されたという逸話も残っています。

このマーキングフィルムと「アウトラインフォント」の出会いにより、街を歩いて
マーキングサインを目にしない日はない現在の状況を生み出したのです。

デザインはテクノロジーとともに進化する:+ 情熱

街中に溢れているデザイン・広告・サインはその性質から人々の感性に強く訴求します。
訴求され醸成された感性がまた次の新たなデザインを生み出してゆく。
そういった意味では「デザイン」とは時代であり文化だともいえるでしょう。

ジョブズはAppleで「iMac」「iPod」「iPhone」「iPad」といった、
現代人にとって欠かせないツールを生み出しました。

それは偶然などではなく、カリグラフに魅了され、
その美しさや概念を自社のパソコンに搭載せずにはいられなかった美学・感性を持ち、
その時代や文化を「デザイン」として昇華した製品づくりをする「情熱」があったからだと思います。

マーキングサインスティーブ・ジョブズという
馴染みがあり分かりやすいところで例を挙げましたが、
デザインとテクノロジーがともに進化する様は、
このコラムを読んでいる方々には身近なことだと思います。

 ◆フォトショップによる画像合成
 ◆3DCGによるリアルな建築内装イメージの作成
 ◆BIM/CIMによる建設生産管理のシステム化

デザインによるイメージの具現化は
まさにテクノロジーとともに進化してきました。

しかし、そこにはやはり人の持つ「情熱」があったからこその進化だと思います。

感動を与える物や空間は、一朝一夕に創ることはできません。

ものづくりに携わる人間の「情熱」がそのアイデアと時間と労力を生み出し、
あらゆる障壁を乗り越えた先にしかその「進化」は成し得ないからです。

テクノロジーの進化とともに、
私自身も情熱を持ってデザインに携わって行きたいと思います (・∀・)

あとがき:ロストテクノロジーとAI

デザインがテクノロジーとともに進化したことは、私たちにとって得ることばかりではありません。

進化と引換えに失うものもありました。

サイン業界では、店舗のシャッターに手描きのサインを施そうとしても、
街の看板屋さんでペンキと筆を持ってシャッターに手描きができる業者は皆無でしょうし、
ネオンサインをきちんと施工できる業者もずいぶんと減ってきました。

どんなに優れた技能や製品であっても、
時代の需要に合わなければ廃れ淘汰されてしまうのが資本主義社会の性でしょう。

馴染みのあるものが消えてゆくことに一抹の寂しさも感じつつ、
デザイナーという職業柄、新しいものへの興味も旺盛です。

パラダイムシフトをもたらすような新しいテクノロジーといえばチャットAIである「ChatGPT」
デザイン界隈でいえば「AIによる画像生成」でしょうか。
これは本当にすごい!

すでにロゴマークの作成などの簡単なデザイン作業なら
(クオリティはともかく)行えるところまで来ています。

ちなみに、弊社の今年の暑中見舞いに用いたグラフィックは
AdobeのAI画像生成ソフト「Adobe Firefly」を用いて作成されました。

デザインがAIというテクノロジーとともに
どのように進化するのか? しないのか?
今後の動きが楽しみです。


一周回ってAIがロストテクノロジーを補ってくれるかも知れません!


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

菅野隆寛
グロリア・アーツ株式会社 取締役 / デザイナー
二級建築士 / インテリア・カラーコーディネーター

デザイン専門学校にてプロダクトデザインを学ぶ
 1996年  グロリア・アーツ株式会社入社
 2001年〜 フリーランスとして活動 多岐にわたるデザイン案件に携わる
 2009年  再入社し現在に至る

さまざまな施設や店舗などのサイン計画やインテリアコーディネート業務を、
企画設計から制作施工まで一貫して請負い、お客さまに提供しています。

建築の中ではメインではなくサブ的な分野の業務になりますが、
人流や導線をコントロールしたり意匠的なキーエレメントになったりと
空間づくりの重要な役割りがあることを日々実感し、研鑽に努めています。